鬼滅の刃考察:鬼滅の刃作者が伝えたい事メッセージ【1巻から3巻】

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鬼滅の刃考察:鬼滅の刃作者が伝えたい事メッセージ【1巻から3巻】

炭治郎の幸せ

炭治郎の家族は山の中でひっそり家族と生活をしていた。父を病で亡くしているため、炭治郎が家長として一家を支え生活をしている。

いわゆる現代で言うヤングケアラーだ。まだまだ子どもであるにも関わらず、生きるために仕事をしている。昔の日本で児童労働は当たり前の世界であった。現在は憲法が設立され、児童労働は違法とされている。

憲法や法律がなければ、子どもや女性といった弱者は力や権力を持つ物にたちまち食い物にされてしまう。かつての旧日本帝国のように軍が力を持ち、力や暴力が全ての世界になっていく。これこそ集団ナルシシズムだ。

無惨のように自分が一番素晴らしい存在と思い、他者や自分と違うもの弱いものを排除しようとする。ナチス政権と一緒だ。集団ナルシシズムがまん延する世界で、マイノリティとされた人々はたちまち排除の対象になる。ユダヤ人や障碍者がガス室に送られ殺されるという恐ろしい思想に流れていくのである。

素晴らしい何者かであるというナルシシズムを乗り越えることが出来るかどうか、生まれてきた意味を理解できるかどうかが本当の幸せに直結する。それを伝えているのがこの鬼滅の刃である。

現在では子どもの権利を守るために、沢山の支援が充実してきている。更にいじめやパワハラ虐待など黙認されてきた社会から、おかしいと声を上げる人が増えてきた。それでも、人間の心を持たない鬼がこの世にはいる。

辛く悲しい現実を背負い、それでも自分の人生を生きるために前を向いていく炭治郎のような人もこの世にはたくさんいるのだ。自分が不幸だったからといって、相手も不幸になることを願うのではなく、自分と同じような思いをしてほしくないと願うものが鬼殺隊となる。私は人を踏みつけにする鬼にならず相手の幸せを願うことの出来る利他的な”人間”として生きていたい。

幸せが壊れるときには血の匂いがするとは

炭治郎は家族のために働いているが、生活は楽じゃないけど幸せだなと感じている。大切な家族が健康で生きていることが何よりの幸せと知っているのだ。

『でも人生には空模様があるからな移ろって動いていく、ずっと晴れ続けることはないし、ずっと雪が降り続けることもない。そして幸せが壊れるときにはいつも血の匂いがする』

当たり前にあるはずの明日、当たり前にいるはずの大切な存在、当たり前に来るはずの未来。その当たり前の幸せな生活が壊されるときには誰かの命が奪われている。

他人の命を踏みつけにし、自分さえよければよいという利己的な人間がこの世にはいるからだ。人間の心を無くし、鬼になってしまった哀れな存在なのである。しかし、鬼滅の刃は鬼にも鬼になる背景があったと教えてくれる。人間であるか、鬼になるかの分かれ道もある。

禰豆子が鬼になった理由

禰豆子は家族を目の前で殺されてしまい、鬼になってしまった。鬼とは怒りに囚われ我を失ってしまった人間のことだ。人を喰い生き延びて、他者の命を搾取し利用する利己的な存在なのである。

禰豆子は家族を殺され許さないという強い怒りに囚われてしまい、誰が敵で味方か分からなくなってしまったのだ。味方であるはずの炭治郎にさえ攻撃を向け、殺そうとしてしまう。

炭治郎に「鬼になんかなるな。鬼になんかなるな。」と言われ続け、兄を殺そうとしながらも目にいっぱい涙を浮かべている。怒りは二次的感情と言われ、必ずその下に悲しみや苦しみといった感情が隠されている。

禰豆子は家族を殺され悲しみの絶望の中にいるのである。そして、家族を殺されたショックから緘黙という言葉を発することができない障害を負ってしまったのだ。

人間が持つ本能として、敵から攻撃を受けた際に生き延びるために攻撃で反撃するか、死んだふりをするか、逃げることを選択する。

どの選択を選ぶかは生きてきた環境によって変わるが、一番生き延びる可能性が高い方法を選ぶ。禰豆子は攻撃をすることで、自分を守ることを選んだ。

そして自我を失ってしまったのだ。竈門禰豆子という人格を失ってしまい、怒りに囚われた鬼になってしまったのである。

鬼になったら人間に戻れなくなるのか

炭治郎が禰豆子に殺されそうになっているところへ富岡義勇が来る。

禰豆子を殺そうとする富岡さんに、炭治郎は人間に戻す、誰も傷つけさせないと叫ぶ。しかし、富岡さんは鬼は人間に戻ることは出来ないと冷たく答えるのだ。

鬼になってしまい、人を一人でも殺してしまうと人間に戻ることは出来ないだろう。いくら不幸があったとしても、関係のない他人を傷つけて良い理由などないからだ。

怒りに囚われ我を失ってしまった人間は、現在では治療が必要だ。適切な医療に繋げ、悲しみを乗り超えていくしかない。そのときに炭治郎のように鬼になっても元に戻ることを信じ、ありのままを愛してくれる存在があることで鬼から人間に戻ることも可能になる。

辛く悲しい現実があっても決して鬼になんかなるな。これが鬼滅の刃の大きなメッセージといえる。

生殺与奪の権を他人に握らせるな

生殺与奪の権を他人に握らせるな!!惨めったらしくうずくまるのはやめろ!!そんなことが通用するならお前の家族は殺されていない。奪うか奪われるかの時に主導権を握れない弱者が妹を治す?仇を見つける?笑止千万!!弱者には何の権利も選択肢もない。悉く力で強者にねじ伏せられるのみ!!妹を治す方法を鬼なら知っているかもしれない。鬼どもがお前の意思や願いを尊重してくれると思うなよ。当然俺もお前を尊重しない。それが現実だ。なぜさっきお前は妹に覆いかぶさったあんなことで守ったつもりか⁉なぜ斧を振らなかったなぜ俺に背中を見せた‼そのしくじりで妹を取られている。お前ごと妹を串刺しにしても良かったんだぞ

鬼滅の刃1巻38ページから40

命がかかっている時に、行動の選択を他人に任せていてはいけない。主導権を握れないと、たちまち相手のいいなりになるしかないのである。

自分の頭で考えていないと自分の人生を生きることが出来なくなる。誰かのいいなにりになり、その人の意見に依存し生きていかなければならなくなる。

誰かにこうしろと言われたから、そうする。こういう人間はアイデンティティが確立されていない。確固たる自己がないのだ。たちまち搾取され、利己的な鬼に利用されるだけの人生になってしまう。

利己的な人間に、お願いですからやめてください、これ以上奪うのはやめてと言葉が通じると思ってはいけない。鬼なのだから。人間の常識など通用しない世界で生きているのだ。永遠に自分の人生を搾取され、エネルギーや大切な時間を奪われ、大事な家族も失う可能性すらある。この世には言葉の通じない鬼もごまんといるのだ。

鬼にからまれていると利用されるだけの人生で終わる。そして、鬼に執着されている人間から真っ当な人は離れていく。そしてどんどん孤立化し、頼れるのが利己的な鬼しか残らなくなってしまう。

これが共依存状態だ。DVを受けているにも関わらず、あの人はいつもは優しい人だと否認してしまいまともな人は助けることすら諦めはじめるのである。

教祖や占いに依存することも同じといえる。楽しみで利用するくらいなら良いが、占いに依存しだすと自分の頭で考えることが出来なくなる。それこそ、生殺与奪の権を他人に握らせている状態だからだ。

また、幸せを他人に任せてはいけない。誰かが幸せを運んできてくれる、誰かが幸せにしてくれると思っているのは幸せになる権利を他人に任せていることと同じだ。

他人が何かをしてくれるから幸せというのではなく、幸せは自分で感じるものなのだ。生殺与奪の権と共に幸せになる権利を他人に任せてはいけない。

自分で自分の人生の主導権を握ることを決して忘れてはいけないのだ。

怒りの原動力

泣くな。絶望するな。そんなのは今することじゃない。お前が打ちのめされてるのはわかってる。家族を殺され妹は鬼になりつらいだろう叫びだしたいだろうわかるよ。俺があと半日早く来ていればお前の家族は死んでなかったかもしれない。しかし時を巻いて戻す術はない。怒れ。許せないという強く純粋な怒りは手足を動かすための揺るぎない原動力になる。脆弱な覚悟では妹を守ることも治すことも家族の仇を撃つこともできない。

鬼滅の刃1巻41・42ページ

家族を殺され打ちのめされている炭治郎に対して、富岡さんは心の中で上記のように考える。

辛く悲しい出来事に襲われたとき、打ちのめされてしまうことは無理もない。そして、その悲しい出来事をなかったことには出来ないのである。

怒りの原動力と言われるように、許せないという強い気持ちが世の中を動かしていく力にもなる。しかし、その際には脆弱な覚悟では、何もなすことができないのだ。

許せないという強い思いがあったさいに、最後までやり遂げる覚悟や強い意志が必要になってくる。そうでなければ、利己的な鬼に喰われてしまうからだ。

富岡義勇に出会うことで救われる

炭治郎たちは富岡さんに出会うことで、鬼を克服するまっとうな道へ導かれていく。人生でもどん底のときに誰と出会うかで運命が変わる。

弱っているときに利用するだけの人間に出会ってしまうと、搾取され続けてしまう。新興宗教など分かりやすい良い例だ。人の不安をあおりお金を搾取していく。健全な関係とは言えないだろう。

堂磨のような鬼に出会ってしまうと、伊之助の母のみたいに不運な運命をたどることになってしまう。

まっとうな”人間”に出会えた人はラッキーだ。そのような人に出会うことが出来なかった子どもたちは、搾取され鬼として生きていくしか生きる術がなくなる。

人生で大事なことは、このように搾取するだけの鬼ではなく、利他的な人間と出会うことができるかだ。

自分の頭で考える重要性

炭治郎は初めて鬼を捕え、止めを刺そうとする。その時に鱗滝さんに「そんなものでは止めをさせん」と言われ、「どうしたら止めを刺せますか?」と尋ねる。

「人に聞くな。自分の頭で考えられないのか」と言われる。

自分の頭で考えるということが生きていくうえで一番重要なスキルだ。自分の頭で考え、選択することで責任が発生する。他人に判断してもらったり、決断してもらうことは自分の人生を歩いていないということだ。

また、自分の頭で考え決断しないと利己的な人間に搾取されてしまう。そうならないためにも、自分というアイデンティティや価値観が大切になってくるのだ。

アイデンティティが確立してくることで、自分と合わない価値観の人とは離れる判断が自分で出来るようになる。

判断が遅いと鬼に殺される

炭治郎は鱗滝さんに「妹が人を喰ったときお前はどうする」と聞かれすぐに答えることができなかった。

「判断が遅い」とおもいきりビンタされる。更にお前はとにかく判断が遅い、すぐに答えることが出来ないのは覚悟が足りないからだと言われる。

一見恐ろしい人にも見えるが、炭治郎の判断が遅いことで命を失うことに繋がる。優しく手ぬるく教えていたのでは、炭治郎はいずれ鬼に殺され死ぬだろう。ここでは、厳しくすることが炭治郎や禰豆子のためになるのである。

これが本当の優しさであり愛だ。鱗滝さんは炭治郎を見限り、放置することもできたが手を貸すことにした。子どもを利用し搾取するのではなく、まともに生きていく術を教えてくれる。このように、本当の大人に出会うことで人生は劇的に変わる。

また、鬼になった禰豆子に絶対に人を殺させてはいけない。罪なき人を殺した瞬間から殺人鬼となり、人間に戻ることなど出来なくなってしまうからだ。

炭治郎の優しさ

炭治郎は鬼殺隊の最終選別で鬼を殺すが、鬼に対し蔑んだ眼を向けるのではなく悲しそうな眼をしていた。そして、「神様どうか、この人が今度生まれてくるときは鬼になんてなりませんように」と言うのである。

このように炭治郎が鬼に優しさを向け、鬼にも鬼になる理由があったのだと理解できるのは、妹の禰豆子が鬼になってしまったからだ。

だからこそ、鬼にも人間のころがあって何か理由があり鬼になってしまった悲しい運命があったことを知っている。この炭治郎の優しさこそ、鬼になってしまった人に必要な優しさだ。

炭治郎の優しさをお互いに向けることで、世界が平和になり生きやすい世の中になるのではないだろうか。誰もがナルシシズムを乗り越え、他人に対して少しの優しさを示すことで幸せの連鎖が広がるはずだ。

ナルシシズム(narcissism)

1精神分析の用語。自分自身を性愛の対象とすること。自己愛。ギリシャ神話のナルキッソスに由来

2自己陶酔

コトバンク
本音で泣ける相手がいると強くなれる

炭治郎は家族を殺されるが、弱音も吐かず鱗滝さんの下で訓練を続ける。最終戦別も生き残り鱗滝さんと禰豆子の待つ家へ帰る。

そこで初めて大泣きするのだ。禰豆子と鱗滝さんに抱きしめられながら、うわーーーと大きな声で涙する。

このように、辛かったことや苦しかったことを吐き出せる相手がいることで人は強くなれる。この世にたった一人でも自分の弱さをさらけ出せる人がいることで孤独から救われる。

一緒になって辛かったねと悲しんでくれる人がいることで、また歩き出せる力を手に入れることが出来る。これが安全基地の持つ力だ。

人間は生まれてから親と愛着を形成し安全基地を築き世界に対する安全感を学ぶ。親と安全基地を築き、更に友人などと安全基地を獲得し世界を広げていくことが出来る。しかし、虐待などで親と安全基地を築くことが出来ないと、世界に対する安心感を感じることが出来なくなり人間不信などに繋がる。

また、炭治郎のように親に愛され安全基地を獲得していても、親を亡くし安全基地を失うことで世界に対する安心感を感じることが出来なくなってしまう。

しかし、親を亡くし安全基地を失ったとしても、鱗滝さんや富岡義勇やお館様や鬼殺隊の安全な仲間と愛着を形成しまた歩き出すことができるようになるのだ。

生きていくしかない

失っても失っても生きていくしかないです。どんなに打ちのめされようと

鬼滅の刃2巻13話

人生には想像をしていないようなことも起こる。炭治郎のように大変だけど毎日幸せだなと思っていた日々がいきなり失われたりもする。

それでも命の限り生きていくしかない。各々が、本当の幸せに気づくことができるか、当たり前にある幸せに気づくことができるかだ。大切な人が明日も生きている当たり前の幸せに気づくことができるかである。

人と比べて私は幸せと感じていることは、本当の幸せではない。自分が何のために産まれてきたのか、それが分かっていることこそが本当の幸せなのだ。

仕事で成功をする、結婚する、子どもを産む、家を買う、車を持つ、そのために生まれて来たのだろうか。何のために産まれてきたのか、それを知っている人は強くなれる。

無惨は自分の弱さを認められない

私の顔色は悪く見えるか。私の顔は青白いか?病弱に見えるか?長く生きられないように見えるか?死にそうに見えるか?違う違う違う違う。私は限りなく完璧に近い生物だ。

鬼滅の刃2巻142p-143p

無惨は病弱に生まれたことが許せなかったのだ。死ぬことのない完璧な生物であろうとした。それはもはや人間ではない。ただの怪物である。誰しも人間として生まれたならばいずれ必ず命が尽きる。

その与えられた命が尽きるまで、どのようにして生きるのか。それはそれぞれの人の価値観によって変わる。それが自我=アイデンティティだ。

無惨は自分さえ永遠に生きることができたらよいという価値観で、究極の自己中おばけなのだ。自分さえよければ良いという超利己的な人間、いや鬼だ。人間の心を無くした鬼なのだ。

自分の弱さを認めることが出来ないと、他人の弱さも認めることが出来なってしまう。自分にもダメな部分があるから、他人にも寛容になることが出来る。

無惨のように、自分の弱さを認めることができず完璧を求め続けると自己愛をこじらせ、自分のために他人を利用し目的を達成しようとする本物の鬼と化すのだ。

無惨は本物の鬼

無惨は人の心を巧みに操り、自分のために利用する。対人操作性があり、相手を洗脳している。自身の目的である永遠の命と完璧に近い生物になるためだけに他人を利用するのだ。

炭治郎と珠世がであい、戦った鬼は一二鬼月ですらなかった。しかし、鬼たちは一二鬼月とおだてられ騙され戦わされ無惨の呪いで殺されたのである。

無惨は自分を慕う者にすらこのような仕打ちをする、本物の鬼だ。

自分さえよければ良いという、自己愛をこじらせるだけこじらせたとんでもない化け物なのである。

このような鬼が現実世界にもはびこっていることも確かだ。人の弱みに付け込み、脅しや時にはおだてて搾取する。それは自分の目的を達成するためだけに利用される主従関係なのだ。

新興宗教や今はやりの闇バイトなどである。どちらも弱みに付け込み永遠に搾取されるだけの奴隷が欲しいだけなのだ。そのような間違った関係に陥らないためにも、アイデンティティが必要になる。

私の価値観がはっきりとしていれば、そのような犯罪に巻き込まれずに済む。

もののけ姫のアシタカのように、『私は自分の足でここへ来た、自分の足でここを出ていく』と自分で判断できる人間になることで搾取される関係から離れることが可能になる。

炭治郎の強さ

炭治郎は他人の弱さだけでなく、素晴らしいところも認めることができる強さがあった。

太鼓包みの鬼も、誰からも認めてもらうことが出来ず踏みつけにされてきた人だ。しかし、炭治郎だけがその人の素晴らしさや作品を踏みつけにしなかった。

炭治郎は素直にあなたは素晴らしいと認めることのできる人間なのだ。その言葉の魔法こそ人を幸にも不幸にもする力を持っている。

相手を利用するために発するのではなく、心の底からそう思っているからこそ鬼の心にさえも響くのである。

炭治郎は太鼓づつみの鬼の血鬼術は素晴らしかった、だが人を殺したことは許さないという価値観だ。鬼にも鬼になる背景はあると優しさを向けるが、人殺しはいけないという揺るぎない価値観がある。

誰もが炭治郎のように他人を認め合うことができれば、争いなど起きないだろう。悲しみの連鎖を止めようと一人一人が変わろうとすることが必要になる。

善逸は解離性同一性障害

善逸は普段恐怖で体が上手く動かせず、全力を出せない。しかし、命の危機を感じ恐怖が極限を超えると失神するように眠ることで本来持つ力を発揮できるのだ。

恐怖が極限を超えると失神するのは、人間の防衛本能でブラックアウトと呼ばれる状態である。

善逸は失神し、別人格を出すことで自分の心を守っている。本来の善逸も剣士として能力があるにも関わらず、怖がりで自身がないため体が上手く動かないのである。

主人格を眠らせることで、本来持つ力を十分に使いこなすことが出来るのである。

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