鬼滅の刃考察:鬼滅の刃作者が伝えたいことメッセージ【4巻から6巻】
自分の曇りなき眼で見定める大切さ
善逸は呼吸音、心音、血の巡る音を注意深く聞くと相手が何を考えているか分かるとある。実際、興奮状態にある人間は心拍数が上がり、全身に血を巡らせることで体を戦闘状態にする。動物としての本能があるからだ。
心が穏やかな状態にあると、心音や呼吸も落ち着き安定する。このように、体の状態で人の精神状態も分かる。
善逸は炭治郎が鬼を連れていることも知りながら黙っていた。いつも信じたい人を信じ騙されてきたが、炭治郎は優しい音がするから信じているのだ。
そして、何か事情があるから鬼を連れていて、自分が納得できる事情だと信じている。禰豆子を殺そうとする伊之助に対し自分で直接炭治郎に話を聞く引っ込んでいろと、炭治郎の命より大切なものを守るのだ。
このように、人が行う行動には必ず理由がある。それを直接本人に確認することが大切なコミュニケーションなのである。
本当の気持ちなどその人にしか分からない。なぜそれをするのか、直接聞くのが一番良いのだ。きっとこう思っているに違いないと、決めつけることは自分の考えでしかない。相手は全く違うことを思っているかもしれないからだ。
伊之助は初めて人に愛されることを知る
累のいる那田蜘蛛山へ入る際、ためらっている炭治郎をよそに伊之助は「俺が先に行く!!』と先陣を切る。そのことを炭治郎に「ありがとう」と言われ生まれて初めて人の役にたつことを経験する。
また、回復のために藤の家紋のおばあさんにお世話になり、優しくされたことを思い出す。
猪に育てられ、獣として生きていた伊之助にとって優しく受け入れてくれる存在が初めてなのだ。そして、感謝されることを初めて経験する。
自分という存在を認めてくれる人に生まれて初めて出会ったのである。その人がありのままで愛され、生まれてきたままで愛されることを知り、初めてこの世界に生まれてきたこと自体が素晴らしいことだと学ぶ。
本来人間ならば、親に生まれてくることを望まれ、愛されることが当たりまえだ。しかし、伊之助のように親の愛を知らず自分に親がいることすら分かっていないと何のために生まれてきたのかが分からなくなる。
そして、伊之助は人間ではなく動物として生きているので、生き物として生を受け弱肉強食の世界で弱いものは死に絶えるだけという価値観なのだ。
炭治郎や鬼殺隊の仲間に必要とされ、愛されることで人間へと成長を遂げるのである。私はここに居てよい存在なのだと自分の存在価値を理解していくのだ。
ちゃんとした人間になりたい善逸
善逸は心の優しい持ち主で剣士としての才能があるにも関わらず、自分で自分のことを認めることができないのだ。
自分のことが一番嫌いで、ちゃんとした人間になりたいと願っている。
傍から見れば、まともな人間であるにも関わらず自分のことをダメな人間と思い込んでいる。
その理由は親に捨てられている過去があるからだ。子どもは親にどのような姿でも愛されることを知り、自己肯定感が育つ。
親は赤ちゃんの時には汚いおむつさえも替えてくれる。そういった経験から、どのような自分であっても愛されることを学んでいくが善逸は親がおらず学んでいない。
育てのじいちゃんに拾われて、いわゆる育て直しという親子関係をもう一度体験することで愛されることや必要とされることを知るのだ。
偽物の家族
累は恐怖で鬼を支配し、家族としてそばに置いている。まさにDVを行っている激やばな鬼なのだ。
恐怖で支配し、自分の周りに置いておくことは本当の愛ではない。ただの支配で主従関係でしかない。
家族は主従関係のある奴隷なのだろうか。その人らしく生きることを望み、相手の幸せや笑顔を願うことが本当の愛ではないだろうか。家族以外の関係でもそうだ。どのような関係性であったとしても、人は対等であるはずだ。
アドラー心理学にあるように、上下関係が一番人を精神的に不健康にする。対人関係を横の関係としてとらえないことで、パワハラや虐待に繋がる。
ナルシシズムをこじらせた累
支配で結ばれている関係は偽物の絆でしかなく、強いきずなで結ばれているものは信頼関係で繋がっているのである。
現実世界でも、累のように心の持たない鬼が家族の中に入り込み、人を支配し疑似家族を作ることがある。恐怖で人を支配する人間関係しか知らないのだ。支配する人間関係が当たり前で、それが本当の愛だと思っている。
そして相手をマインドコントロールすることで、自分の欲しいものを手に入れる。欲しいものは愛やお金や羨望だ。支配し搾取するというコミュニケーションで成功体験を得てしまっており、治すことは容易ではない。
本当の信頼関係による人間関係を学ぶことなく生きてきた、哀れで悲しい虚しい存在なのである。
累の親は十分に愛しているが、その愛が伝わらなかった。累もまた無惨のように、何者かになることに拘ってしまった。
強い身体を手に入れても両親は喜んでくれず、鬼になってしまった累を殺そうとする。
両親は強くあることを望んでいたわけではなく、生まれたままありのままの累を愛していたにも関わらずそれが伝わらなかった。
このように、ダメな自分を愛せないと、とことんナルシシズムをこじらせ孤独な鬼となっていく。他人より優れている、何者かになる、それだけが人生と思っている人はいずれ躓く。
それがなくなったら、人ではなくなるという価値観だからだ。その生き方だけが、人生なのだろうか。人には人の生き方がある。世界中を見渡すと、80億人の人が今この瞬間に生きている。同じ人生など一つもないはずだ。
世界は広い、今いる世界で認められずとも自分の価値観と合う人達はどこかに居るはずだ。住む世界が変われば、価値観も変わるからである。
一つの物事に囚われず、広い視点で考えることが生きる上で重要なスキルとなる。
命を懸ける信頼関係
富岡さんと鱗滝さんは、お館様に対して炭治郎が禰豆子を連れて鬼殺隊として行動することを許容してもらえるように手紙を出している。
禰豆子が人を襲った場合、炭治郎、鱗滝さん、富岡さんは腹を切ってお詫びをすると自分の命を懸けてまで禰豆子と炭治郎のことを信用しているのだ。
究極の信頼と言えるのではないだろうか。自身の命を懸けて、相手を信用する。これ以上の愛はない。
相手に命を捧げるほどの信頼関係が本来のパートナーシップだ。この人になら、命を取られても良いと相手を信頼し自分の弱さをさらけ出せる相手がいることで人は強くなれる。
この悪意ある世界で、たった一人でも良いのでそいういう相手を見つけることが人生だ。そいういう相手が1人でも見つかった人はこの上ない幸運なのである。
その相手が無惨のような鬼ならば、利用し搾取されるだけの人生になってしまう。しかし、炭治郎のように”人間”に出会うことで救われる。
命を懸ける相手は自分で選ぶことだ。鬼のようなテイカーにいくら愛を与えても、その欲求や欲望は際限がない。健全な心が育まれていないか、壊れているので底なしなのだ。
相手を選ぶ際に必要になってくるのは、アイデンティティである。自分の価値観がはっきりしていると、他人の意見に惑わされることなく自分の意思を貫く力を得ることが出来るからだ。利用するだけの相手ではなく、相互依存関係の人間を見つけることで人生は変わる。
悲しみの連鎖を断ち切る刃
炭治郎はお館様に「悲しみの連鎖を断ち切る刃を必ず振るう!!」と叫ぶ。これこそが、鬼滅の刃での大きなメッセージとなる。
虐待に連鎖が起こるように、悲しみの連鎖を断ち切らなければ永遠に争いは終わらない。
戦争が終わることのないように、傷つけられた誰かが、再び誰かを傷つけるように連鎖は止まることはない。また、誰かの正義は誰かにとっての悪となる。
怒りの攻撃性は、上から下へを流れより弱いものへと向かうのである。その時に炭治郎のように、悲しみの連鎖を止める刃を自身で振るう必要がある。
誰かに傷つけられたからといって、関係のない誰かを踏みつけにして良い理由などこの世にはないからだ。そのために、法律があり憲法があるのだ。
ルールがなければ、力が支配する世界になり動物として生きていくしかなくなる。弱肉強食の世界で暴力が全ての世界になることだろう。そのような世界で人類が発展し、平和な世界が来ることは望めない。
誰もが命を踏みつけにされることなく、幸せに生きるためにはルールが必要になるのだ。そうしなければ、力を持たない弱者はたちまち力でねじ伏せられるだけになるからだ。
お館様は代理父
お館様は自分もわずか20代であるにも関わらず、鬼殺隊の父として統制をとっている。産屋敷家に産まれた者の使命としての運命を受け入れているのだ。
鬼殺隊の指揮官として無惨を倒すために生きる人生が生まれる前から決まっている。また、一族から無惨を輩出した呪いにより命が短いことも受け入れている。
自分の生まれた意味や、やるべきことがハッキリしているのである。産屋敷家に生まれ、無惨を倒すために代々鬼殺隊を強くしていくことが彼の人生なのだ。
まだ若いにも関わらず、鬼殺隊の依存を引き受け愛を与えている。鬼殺隊の剣士をこどもたちと言い、代理父としての役割を果たしている。
お館様は恐怖で人を支配しコントロールするのではなく、論理的に話をすることで柱達信頼を得ている。理想の上司第一位は間違いない。
デール・カーネギーの著書『人を動かす』にもあるように、北風と太陽では、太陽でしか人は動かないのだ。
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鬼殺隊の子どもたちのように、親を失い孤児になったとしてもお館様と出会えた子は超ラッキーボーイ、ラッキーガールなのである。
復讐をせずに生きる道もあるだろうが、悲しみの連鎖を止めるためには被害者である彼らにしかできない。許せないという強い怒りがいずれ、大きな力になるからだ。
胡蝶しのぶの価値観
胡蝶しのぶはいつも冷静でニコニコとしている。笑顔の仮面で隠した鬼に対する憎悪が強くある。鬼と仲良くするという夢を持っているが、本心では鬼を許すことなどできないでいる。
心の底で鬼に対して、人を殺しているのに可哀そうなど到底思えないのだ。
しのぶの姉は炭治郎のように鬼に対しても憐れみを向けることのできる優しい人だった。その姉の願いである鬼と仲良くする未来を目指しているが、どうしても許すことができないのである。
それは人として当たり前の感情だ。しのぶがとりわけ優しくないわけではない。人にはそれぞれ価値観があり、炭治郎やしのぶの姉のように鬼に対して同情を向けることができる人もいれば、そうでない人もいる。
鬼は自己保身のために、平気で嘘をつき、理性をなくし剥き出しの本能のまま人を殺す。このような鬼に同情心を向けることが出来ない人が大半なのではないだろうか。
しかし、人間は弱い。不運がかさなると誰しも理性を持たない鬼になってしまう。禰豆子や鬼殺隊のように仲間であるストッパーがないと、人は誰でも鬼と化すのだ。
無惨のパワハラ会議
無惨は下弦の鬼を集めて、これほどまでにないくらいのパワハラを行う。パワハラというより虐殺だ。
自分の思う通りにいかないことに腹を立て、意見をするものを徹底的に殺していく。
『何故に下弦の鬼はそれ程まで弱いのか』『私は何も間違えない』『全ての決定権は私に有り私の言うことは絶対である』無惨はおぞましい価値観で本物の鬼だ。
人の弱さを認めることが出来ないのは、自分の弱さを認めることができないからだ。また、他人が自分と違う感情や価値観を持つことさえも許せず、私が全て正しいのである。という考えの独裁者でしかない。
このように、他者性を育むことが出来なくなると、自他境界線を侵してしまうことに繋がる。相手には相手の事情や価値観があることが理解できず、自分優先を押し付けるのだ。
誰にも人権が保障されており、誰かの奴隷として生きることを強いられる必要はない。無惨に鬼にされた者たちのように、奴隷として生きることが当たり前になってしまうと搾取され続ける。
この悪意ある世界で生きるためには、自己保身のために平気で嘘をつき、本能のまま利己的に生きる鬼にから離れ、人間と共に生きる選択をする力が必要になる。
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