進撃の巨人【解説】ヒストリアの子供は誰の子問題

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ヒストリアの子供は誰の子供か

ヒストリアとユミルは恋愛関係

訓練生時代からユミルはヒストリアに好意を持っていた。マーレにつかまった際ヒストリアに手紙を送っている。

その手紙には『私が恋文をしたためる様子をのぞき見している』『正直心残りがある。まだお前と結婚していないことだ』と書いていることからも、ユミルはヒストリアに恋愛感情があったことがわかる。

ヒストリアもユミルに対し、特別な感情を抱いていたことは確かだろう。

ヒストリアはユミルの手紙を読んだ後に「バカだなぁ。ユミルって…。バカだったんだ。照れくさくなるとすぐごまかす。これじゃわかんないよ…」とつぶやいている。

ユミルは照れくさくて誤魔化した文章を書いていることも理解していて、『まだお前と結婚していないことだ』に込められた、愛しているという言葉がヒストリアには伝わっている。

ラブレターを送られた照れくささもヒストリアにはあったのだろう。お互いに相手のことを理解しあっていたことが分かる。

ユミルはヒストリアの内にある悪い子も見抜いていた

訓練生時代にユミルはヒストリアが良い子を演じていることに気づく。

ヒストリアは人からどう見られるか、いい子に見られるかで行動し自分の意思を持っていなかった。他人からどうみられるかに囚われた奴隷であり、それは自由に生きていない。

自分がいい子に見られるかどうかを第一に考え行動し、そのせいで誰かが犠牲になることもある。それはある意味で自分が可愛く、他人のことよりも自分がどうみられるかを優先している自分中心の悪い子なのだ。

みんなの望むいい子のクリスタル・レンズを演じていたが、その中にある空っぽなダメな自分でも愛してくれたのがユミルだった。

自分がダメと思っているところを知ってもなお、愛してくれる人を人は愛さずにいられるだろうか。

ヒストリアは超悪い子

ヒストリアは身分を隠して、クリスタルとして生きていた。母親からお前なんか産まなければよかったと生まれてきたことを否定され、誰からも愛されず生まれてくることすら望まれていなかった。

毒親問題でもよくあるが、そう言われている子どもは生きている意味が分からなくなる。自分が何者で、何のために産まれてきたのか、私はこの世界に生まれてきてはいけなかったとなるのだ。

そんな風に育つと誰かに愛されたい、認められたいと必死になり自分の本心を抑え、ヒストリアのようにいい子として生きる道を選ぶ。

いい子は誰かにとってのいい子だ。本来健全に育った子どもは、相手の気持ちを尊重しつつも自身の意見もハッキリと言える。

ヒストリアもありのままの私は誰にも愛されることはないと思い、愛されたいからいい子を演じていた。いい子じゃない私は空っぽでがっかりしたでしょとエレンに伝える。いい子じゃない私はどうせ誰にも愛されないという気持ちが隠れている。

そんないい子でもない、空っぽだと思っていた素のヒストリアをエレンは「別にお前は普通だよ」と伝えるのだ。素のヒストリアであっても別におかしくなんかないし、空っぽでもない、普通だよと教えてくれるのだ。

これがトラウマの乗り越え方である。ダメな自分を誰かこの世界のたった一人でもいいので、別におかしくなんかないよ、普通だよと認めてもらうことで『私がこの世界に産まれてきたことが罪』というトラウマを乗り越えることができるのだ。

超悪い子だからヒストリアは夫を愛していない

妊娠しているヒストリアの顔や、夫となる男に会いに行く顔から分かるように全く幸せそうじゃない。どう見ても顔、死んでるやん…愛していたのは、ユミルだからだ。

地ならし発動には、始祖の巨人と王家の血を引く巨人の力が必要だった。壁の中を守るためには、始祖の巨人を継承していくこと、そしてヒストリアが巨人を食べ親子で継承していくという犠牲が必要だった。

その犠牲を避けたかったエレンは地ならしをして、人類を駆逐し自分を殺させることで残された仲間たちが英雄として生きていくことのできる未来を望んだ。エレンには残された時間が少なかったため、愛するものを守るためにやるしかなかったのだ。

愛するものを守るために、自分が犠牲になろうとも自身の意思でそうなることを望み選んだ。

その話を聞いたヒストリアは、エレンを止めるべく少しでも巨人を継承する期間を延ばそうと妊娠という手段をとる。ここでも悪い子が発動している。

そのためだけに妊娠する、歪んだ愛の結果で生まれてきた子どもはどんな気持ちなのだろうか。ヒストリアは世界一悪い子なのだ。

愛していない人と結婚し、子どもを産む。そもそも恋愛対象が男性かも怪しいので、暗い顔をしているのも納得できるのではないだろうか。

ヒストリアの子供の父親はエレン説

妊娠すればよいだけなら、結婚する必要はないはずだ。エレンの子であるとすれば、未婚の母として子を産めばよいのではないだろうか。

しかし王族のため、のちに子どもの父親は誰だと作中の中でも沸き上がることが予想される。子どもの父親が人類を駆逐した殺戮者だったなんて、そんな悲劇は避けたいところだろう。

なので適当な人物を子の父親としてあてがった、カッコーの巣状態かもしれない。

もしエレンが父親だとしたら、その方がとても罪深いのではないだろうか。親子で巨人を継承していくことよりも、殺戮者の子どもとして生まれ、父親は実の父ではない方が子どもにとっては残酷だろう。

親子で食べあうとしても私は望まれ生まれてきた、父にも母にも愛されていると思える方が幸せなのではないだろうか。

子供を作るために適当な人物を探し、その人と結婚し子どもを産んだと考える方が納得できる。夫はヒストリアを愛し、子どものことを愛しているように描かれている。一番好きな人とは結婚できなかったが、結婚するなら丁度いい人と結婚した女性の状態にも見える。

生まれてきた子供の父親がエレンならば、最終話で子供を抱いているヒストリアの顔がもう少し笑顔でもいいのではないだろうか。ヒストリアは子供を本当に愛しているのか怪しい。

人類駆逐化計画を延期するために、好きでもない男の子を産み育てているから暗い表情なのだろう。そこに愛はあるんか?と聞こえてきそうだ。その中で生まれてきた子供には罪はなく、これからの人生で辛いことがあるかもしれながそれでも自身で乗り越えていくしかない。それが進撃の巨人で伝えたいことだからだ。

ヒストリアの子供はエレンでなければならない理由:出生主義と優生思想

ヒストリアの子供はエレンでなければいけない理由もある。エレンは殺戮者だから子どもを作ってはいけないという考えになると、反出生主義になってしまうからだ。

それでは作者が伝えたい、出生主義に反した考えだ。だからこそ、エレンは子どもを残している必要がある。殺戮者の子どもであっても、生まれてくる命に罪はないからだ。

ここでも歪んだ愛の犠牲がある。望まない妊娠、父親は殺戮者、そう知ったときの子どもの気持ちを考えるといたたまれない。それでも生まれてくる命はそれだけで素晴らしい。

父が殺戮者であっても、生まれてくる命は素晴らしいというならば、エレンが父親である描写があるはずだ。作者が伝えたいメッセージがここにあるはずだからだ。それを隠すということは、逆に産まれてきてはいけない命、殺戮者は産んではいけないというメッセージになってしまう。

一般的に考えると殺戮者は産んではいけないとなるが、殺戮者が毒親やハンディキャップがある人とするとどうだろう。いわゆる普通と言われる普通ではない人たちは、子供をもってはいけないのだろうか。優生思想の問題になってくる。

お前は産んではいけないと、他人が決めることができるのだろうか。自由意志ではあるが、その選択を選ぶには最後までやり遂げる責任が伴う。お前が始めた物語だろ、だからだ。産んだから、はい終わり。あとはよろしくというわけにはいかない。

しかし現実に世界は残酷であるから、そういう家庭に育つ子どももいる。そんな子どもたちがこの世界に生まれてきてよかったのだ、と思うことができるメッセージが進撃の巨人にはある。

エレンも子どもを残して、はい終わり。あとはヒストリアと旦那よろしく!ということは絶対に避けただろう。その点でもエレンは父親ではないといえる。

エレンの頭蓋骨と子どもの顔が同じ抱かれ方という描写があり、エレンの子どもではないかという見解がある。ただ単にエレンは死んで、新たな命は繋がれたという描写であると考えられる。

出生主義であっても、大量殺戮を行うことは倫理的にいかがなものか。たとえ世界は残酷であっても、殺人が肯定されてはいけないのだ。自分が自由に生きる権利があるように、他人にも自由に生きる権利がある。それを侵すことは何人たりともあってはいけない。それは相手を対等に扱わず、家畜扱いしていることと同じだ。

ヒストリアの子どもの父親は、エレンではない理由がもう一つある。父にならなくとも、この世界に生まれてくる命は素晴らしいと知ることが可能だからだ。

エレンは父親にはなっていない

友達や仲間がエレンの存在を認めていた

王族であるヒストリアの父は巨人を継承させるため、エレンを捕えヒストリアに喰わせようとしていた。

捕えられたエレンは自分が巨人を継承する特別な存在で、巨人を駆逐するために犠牲は仕方ないと心の中では思っていた。

しかしヒストリアの父の話を聞き、自分が巨人の力を手に入れる必要はなく、むしろそのせいで多くの人が亡くなった罪悪感にさいなまれてしまう。

自分など初めからいなければよかったと、自責の念に駆られてしまったのだ。自責の念にかれられた人は、私は生まれてきてきてはいけなかったと思ってしまう。

それが精神病の原因になる。自責の念にかられ、私は生まれてきてはいけなかったという本来のトラウマを乗り越えることができないと、鬱や統合失調症などの精神疾患、最悪は死を選んでしまう。私がいなくなればみんなが幸せになると思ってしまうのだ。

そのためにも、私はこの世界に生まれてきただけで素晴らしいと思えないといけないのだ。

トラウマを乗り越える方法は、この世界にたった一人でもいいので見方を見つけることでできる。

泣いているエレンに対し、ヒストリアはエレンの鎖を外しながら言う。

「巨人を駆逐するって⁉誰がそんな面倒なことやるもんか‼むしろ人類なんか嫌いだ‼巨人に滅ぼされたらいいんだ‼つまり私は人類の敵‼わかる⁉最低最悪の超悪い子‼」超悪い子爆誕の瞬間である。

そんなヒストリアは続けて「私は人類の敵だけど。エレンの味方」と伝えるのだ。

たった一人でもこの世界にダメな自分を認めてくれる見方を見つけることで、トラウマは乗り越えることが出来るのだ。

アルミンもエレンを肯定していた

ユミルの民の”道”でエレンがアルミンに地ならしの計画を話しているシーンがある。

その時にアルミンは「エレン。ありがとう。僕たちのために…殺戮者になってくれて…君の最悪の過ちは無駄にしないと誓う」と伝えるのだ。

殺戮者になることは過ちであるとしながらも、それを否定することなくエレンを肯定する。

エレンはきっとそんなの間違ってると、否定されると思っていたに違いない。エレンはアルミンたちに止められる未来を見ていなくても、地ならしをやっていたと思うとも答えているからだ。

世界を壊したいと思ったから壊すことにした。そんな超反抗期的な考え方でさえも肯定してくれる仲間がいたのだ。

父親になったから成長するわけではない

人は父親になったから成長できるわけではない。子どもが生まれたら成長できるのであれば、虐待など一切ない世界になっているはずだからだ。世界は残酷で、そんな簡単に人は変わらない。

グリシャのように父親になっても愛がなかったら間違いを繰り返す。エレンは愛を知ったから強くなれた。仲間に対する愛、ミカサに対する愛だ。

映画すずめの戸締りでもあったように、最近の映画では父性の欠如がよく描かれている。すずめは元々父親はおらず、母も失う。両親に頼らず自分で人生を切り開いていく、愛する人を見つけトラウマは自分で乗り越えろという映画だ。

映画天気の子にも親は一切出てこない。世界を壊してしまったけれど、あたなに出会えたからその選択は間違いではなかったというストーリーだ。こんな残酷な世界だけど、あなたがいるから生きていける。だれかの大丈夫、愛になることでこの残酷な世界でも生きていけるのだ。

世界を救うよりも自分を愛すること

世界を救うよりもまず自分を救う必要がある。自分を愛せなければ、他人や世界を愛せないからだ。

自分を愛していないとそれが相手に投影されて、周りが敵だらけになってしまう。自分を愛することでそれが投影され、周りが愛だらけになるのだ。そして他人に寛容になることができ、争いは無くなっていく。

それでも自分を愛することは難しい、だから世界に溢れる愛を見つけることだ。好きなお店、好きな映画、好きな音楽、自分の周りにある沢山の愛を見つけることで、毎日が楽しくなり心に余裕がでる。

エレンは生まれてくる命は素晴らしいと知っていたし、愛も知っていた。それでもどうしても駆逐したかったのだ。世界をぶっ壊したいと思ったのだ。それは愛するものを守るためだったかもしれないし、自分の欲求に忠実だっただけかもしれない。

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