映画スラムダンク【レビュー】宮城は成長したのだろうか

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井上雄彦には分からない死別体験の壮絶さ

映画スラムダンクを見て感じた感情はあっただろうか。

映像美や試合の進み具合には感動を覚えたが、物語の背景に描かれた宮城リョータの生い立ちが取って付けたかのような物語に感じた。

死別を経験した子にしか分からない気持ちが一切描かれていないからだ。

死別とはもっと壮絶で生々しいものである。物語ではどこか他人ごとのように描かれ、外から見た死別体験がある人はこうでしょという描かれかたであった。

ある意味で宮城や宮城の母は離人症のような状態だったのかもしれない。

宮城の母が強すぎる

夫を亡くし、更に長男を立て続けに無くしている母であるのに対し精神が強すぎて一切感情移入ができないのだ。

残された子供のために一生懸命生きていたのかもしれないが、視聴者にすら深く悲しんでいる様子がわからない。

大体の人は鬱やうつ状態になってしまうのではないだろうか。

それは、何かできなかっただろうかという自責の念に駆られるからだ。

この二人には一切の自責の念が感じられないのである。

宮城は離人症なのか

離人症とは

離人症というのは周囲の出来事や人々、自分自身に対して現実感がなくなり、夢の中にいるような奇妙な感じに襲われる症状です。 一時的なものもありますが生涯にわたって続く慢性離人症もあります。 慢性離人症はこれまで治療不能と言われてきましたが、最近ではいくつかの施設で治療が試みられています。


精神科の病気について | 医療法人(財団)桜花会 醍醐病院

死別をすると辛すぎる現実と向け合えず、心を守るために感情を自分から離そうとする。

起こっている現実を体の外から見ているような感覚になるのだ。

そうすると人は深い悲しみを表現せず、魂が抜けたようになってしまう。

この二人もそうだったのだろうか。

離人症であってもそれを乗り越えるためには、父と兄を失った現実と向き合う必要がある。

自分のせいでこうなったという自責の念と向き合い、そんなことはないということに気が付かねば先には進めないのだ。

宮城の不良行為は怒りを表現している

バイクで暴走しているのは、内にある怒りを表現しているといえる。

子どもは必ず反抗期を迎えるが、その表現方法がいい子か不良かに分かれるのだ。

不良の反抗期は反抗心が外に向かうのでとてもわかりやすい。

お前のせいでこうなったと直接的に攻撃を向けるのだ。

一方いい子の反抗は直接攻撃を他者に向けることが出来ないので、引きこもりや自傷行為など自分に攻撃を向け怒りを表現する。

宮城は直接怒りを表現しているのである。

その怒りとは、自分のせいで父や兄が死に母が悲しんでいるという自分に対する罪悪感だ。

宮城には罪悪感が感じられない

人間なら誰にでもある罪悪感が宮城からは感じられないのだ。

洞窟で泣いているシーンもあったが、母が苦しんでいたり自分のせいでこうなったという深い苦しみが伝わってこない。

この罪悪感があると自分を責め続け鬱になったり統合失調症という精神病になってしまう。

そうならないために罪悪感を隠すための補償行為として、他責があり不良という行為で表現している。

この罪悪感とは自分が生まれてこなければよかったという、本来のトラウマの意味であるが宮城からそれを感じることができなかった。

トラウマの乗り越え方がない

この「私が生まれたことがいけなかった」というトラウマは、他者にあなたは生まれただけで素晴らしいと認めてもらうか、自身で認めるしかないのだ。

そのシーンを描いていないだけなのか、一切それを乗り越えた描写がなかったように感じる。

君たちはどう生きるかやすずめの戸締りはこのトラウマを自身で乗り越えようと伝えている映画だ。

自分を愛しダメな部分も認めることで他人に寛容になれるというメッセージが隠されているが、スラムダンクにはそれがなかったように感じる。

三井寿の方がトラウマを乗り越えている

三井寿はけがでバスケをやめ不良になっていたが、本当はバスケをしたいという気持ちを隠していた。

その本音を素直に言えず、絡んだりして表現していた。しかし、安西先生に「バスケがしたいです」と素直に言うことでメンバーからも認められチームに戻ることができた。

これがトラウマの乗り越え方といえる。

自分の本音を素直な気持ちで他者に伝え、認めてもらうことでトラウマは乗り越えることができる。

こんな自分は許されず愛されないと相手に伝えることで、本当に愛してくれる人はそんなことはないと全力で愛を伝えてくれるのだ。

宮城はある意味でいい子ちゃん

宮城はある意味でいい子ちゃんなのかもしれない。

不良にもなり切れず、いい子ちゃんにもなりきれないどちらにもなれない状態であるといえる。

バイクの事故も自傷行為ともとれるのではないだろうか。

母に自分を見て欲しいという気持ちが表れている。

だれかが宮城に対しあなたは生まれただけで私の幸せですと伝えるシーンはあっただろうか。

私たちは生まれただけで素晴らしいと伝えている進撃の巨人のように、誰が宮城を救ってくれただろう。

唯一バスケが宮城を救ってくれた存在なのかもしれない。

死別にある死の受容過程が見られない

キューブラーロス5段階とは

死が迫っている患者と家族は、家族や友人、場合によっては聖職者の助けにより、しばしば深い安らぎが得られます。 深い悲しみの過程は否認、怒り、取り引き、抑うつ、受容という5つの感情的段階を経て進行します。

死と死期の受容 – 01. 知っておきたい基礎知識 – MSD Manuals

悲嘆があると心の動きとして5段階を経て進行すると言われている。

  • 否認…死を否認し認めようとしない
  • 怒り…なぜ私がこうなるという怒り
  • 取引…神様に頼ったりする
  • 抑うつ…もう何もかも終わりのように感じる
  • 受容…死を受け入れることができる

このように死を受け入れるまでに5段階経ると言われているが、この親子に一切感じることが出来なかった。

井上雄彦は成功しているから分からないのか

漫画で成功し、自分の不幸を他者のせいや社会を呪い祟り神になった経験がないのかもしれない。

トラウマの乗り越えはその自分の醜い悪意ある感情と向き合うことが出来ないと一生できないだろう。

自責と向き合えず他責ににいると祟り神になってしまうのだ。

祟り神から人間になることができた人だけが分かる気持ちがあるかもしれない。

祟り神のように「人間どもよわが苦しみを知るがいい」という感情が湧いたことがないのかもしれない。

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トラウマの乗り越え方が分かる映画

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