眞人は愛着障害
眞人は母親が火事で死んでしまい、愛着対象(安全基地)を失う。
愛着対象を失った子どもは、ときに愛着障害になってしまうことがある。
父の愛情は新しい母(夏子)へ向かっているように感じ愛着対象を更に失う。
夏子と新たな愛着を築けたら良かったが、夏子のお腹には赤ちゃんがおりその愛情も赤ちゃんに向かっていると感じ完全に愛着対象を失う。
眞人は自分に対する愛がなくなり、独りぼっちになってしまったと感じたのである。
眞人の父と夏子に愛情はないのか
父と夏子は眞人を愛してるが、その愛情は伝わらない。
愛情の伝え方を間違えると愛着障害は治らない。
『私が死んでも、今日も明日も幸せです。生きている間にあなたに出会えたから』とその人が生まれただけで私は幸せですと全肯定する必要がある。
それを言葉と行動で伝え続けるしかないのだ。
正しい愛情の伝え方とは
自傷行為がある子どもは全てを認めなければいけない
例えば愛着障害の人に自傷行為(死にたいと仄めかす等)がある場合は、死にたいくらい苦しんでいるという気持ちを認める必要がある。
死にたいなんて言わないでと伝えると余計に自傷行為がひどくなってしまう。
それはその子の気持ちを認めず、自分が嫌な気持ちになりたくないということを間接的に伝えているからだ。
自傷行為は私の気持ちを分かってほしいという訴えで、生きていたくないと思うほど苦しく傷ついているだけなのだ。
子どもが死にたいと言ったり、引きこもったりどんな状態であれ『私はどこにも行きません、あなたは私の悲しみにはならない、ただ私の幸せです』と伝えるしかない。
決してその子を自分の悲しみにしてはいけない。
眞人は自分のせいで母が死んだと思っている
眞人は母が死んだことで自責の念に囚われてしまった。
自分がいけない子だから母は死んだと思い込んでおり、それだけ子どもは親のことが大好きで親を幸せにできない自分を責めてしまう。
親が笑っていないのは自分のせいだと思い込んでしまうのだ。
自分を責める”罪悪感”に囚われてしまうと、人は鬱や統合失調症といった精神病になってしまう。
眞人はいい子ちゃん
愛着障害の子どもは、いい子ちゃんか不良として怒りを表現する。怒りの出し方が自分(内)に向かうか外に向かうかの違いだ。
自分の中にある怒りを隠すためにいい子や不良を演じることを補償行為という。
眞人は自身の怒りを隠すための補償行為としていい子ちゃんを選んだ。
怒りの感情は他責
怒りとは他人を責める感情であり、こうなったのはあいつのせい、社会のせいと自分の外側に原因があるとすることだ。
眞人は死んだ母や父や夏子に対する怒りがあり、『僕が一人ぼっちになったのはお前たちのせいだ』という他責を隠すためにいい子ちゃんを選んだのである。
いい子ちゃんの怒りの表現方法は自分に向かう
いい子ちゃんは怒りを自分に向けて表現する。自傷行為や引きこもりなどがそうだ。不良の怒りの表現は外へ向かうので分かりやすい。
どちらの表現方法も『私を助けて。私を見て』と必死に叫んでいるといえる。
眞人が石で頭を傷つけた理由
眞人は頭を石で傷つけ、怒りを表現したのである。車で登校し恥ずかしい思いをした。本当はそんなこと望んでいないのに、本音を話せないから自傷行為で怒りを伝えようとする。
父は学校に車で連れて行ったり、自傷行為をしたことに対しいじめが原因と思い込み学校へ乗り込む。とても愛情深いのだが、『いや、違うって』と眞人の声が聞こえてきそうなくらい頓珍漢なことをしている。
父は愛情の向け方を間違えているのだ。戦争をしている時代でとても裕福な生活をしているが、眞人は幸せではない。お金があっても愛が正しく与えられなければ幸せにはならないのだ。
眞人の本音は何か
いい子はいい子でないと愛されないという呪いにかかっている
眞人は必死に「僕の本音を分かってくれない!!」とずっと心の中で言っている。
いい子にしているのに僕を見てくれず一向に愛情が向かない、いい子を演じている僕の苦しみを分かってくれないと心で思っているのだ。
母は僕がいい子じゃないからいなくなってしまった。だからいい子でなければ愛されないという思い込みがある。
いい子の反抗期
いい子は自傷行為をすることで、怒りを表現しこうなったのはお前たちのせいだと間接的に攻撃をする。
引きこもりも静かなる攻撃だ。直接お前のせいでこうなった!と言えない子がしばしば静かなる反抗をしているのである。
引きこもる子どもはとても優しい子が多いのではないだろうか。
いい子を続け反抗期を迎えずに大人になってしまうと人はおかしくなってしまうが、眞人は反抗期を迎えることができたのである意味正しく発達段階を踏んでいるといえる。
アサーション
「自己主張」という意味の単語で、相手と対等な立場に立って自己主張をするためのコミュニケーションスキルのことです。 相手の主張を否定したり、強い口調で無理に押し込めるのではなく、お互いの価値観を尊重しつつ、自分の意見を的確に言葉にするための方法です。
あしたのチームホームページより
適切な自己主張をするために必要なスキルと言えるアサーションを学ぶと、眞人のように変な自己主張をせずに済みます。アサーション学んでみませんか。
怒りの下にある感情
怒りの下には必ず自責があり、自分のせいでこうなったという感情がある。
それは私が生まれたからこうなってしまったという罪悪感で、その自責を隠すために他責があるのだ。
私が生まれたことが罪という自責と向き合うことはとても苦しいので、他責で防衛することで心を守る。
この自責の罪悪感こそが本来のトラウマという意味で、人間なら誰にでもある感情だ。
眞人は自責の念がある
眞人は火事から母を救えなかったことで、自分を責めているのだ。
自分のせいで母は死んでしまったという自責の念があり、その感情と向き合うことはとても苦しいことなので、他責にして自分の心を守っているである。
人の死と向き合う
人が亡くなると、残された人は罪悪感にさいなまれる。
自分のせいで死んでしまったのではないかという感情が湧いてくるのだ。
何かできることはなかったのか等考えてしまうのである。
君たちはどう生きるかはその罪悪感の乗り越え方を教えてくれる。
夏子は自殺をしようとしている
眞人が自傷行為で表現した『こうなったのはお前たちのせいだ』という静かな攻撃が、夏子には分かったのだ。
夏子は自分がいることで自傷行為をしてしまうと思い、自責の気持ちから抜け出せなくなってしまう。
自責の念(トラウマ)である『私がいることでみんなが幸せにならない』という感情にのまれてしまうと人は死を選ぶ。
私が死ねば皆を傷つけることがなくなるという発想になり、夏子は生きることを諦め、あの世界に行き自殺することにしたのだ。
眞人のように他責で人を責めると、責められた相手は罪悪感にむしばまれてしまう。
だから怒りに身をまかせて他人を責めてはいけない。祟り神のように怒りに身をまかせると、いずれ自分か怒りを向けられた相手は死の呪いにかかってしまうからだ。
眞人がサギを殺そうとする理由
そんな中眞人は、必死にサギを殺そうとしている。サギを殺そうとするのは自分のトラウマと向き合うことが怖いからだ。
自分のトラウマを思い出させる存在なので殺そうとしているのである。
サギが出てくるのは、眞人が本心を隠しいい子ちゃんを演じている嘘つきだからである。
自責の念(トラウマ)から救うことができるのは相互依存の愛
サギを殺そうと躍起になっているときに、母が残した君たちはどう生きるかの本を見つける。涙しながら読んでいるのはかつての宮﨑駿が同じように涙をしながら読んだのかもしれない。
この映画を観た私たちのように生きるとは何かを学び眞人も涙したのだ。
母から与えられる愛を感じ、生きるとは何かを学んだ眞人は夏子を救いにいこうとする。
相互依存の愛
相互依存の愛とはもののけ姫のアシタカのように共に生きるためにお互いを尊重しあう関係を目指す愛である。
自立型が烏帽子のような私のやり方に沿えないなら去れという愛。
依存型が赤ちゃんのように私の思うように愛してほしいという愛。
人間関係を円滑にするためには相互依存型の愛である必要がある。産まれた時はみんな依存の愛であるが、成長し相互依存型の愛を知ったときこそ本当の意味で大人になったと言える。
眞人が下に落ちる理由
トラウマの下にあるのが愛だから
眞人は青サギの案内で大叔父さんのいる下の世界へ行く。下へ行くのは、トラウマの下に愛の層があるからだ。
愛の層とは私達人間は元々神様と一緒に暮らしており、その世界からこの世にきたのである。ワラワラは人間になる前の私たちの姿なのだ。
トラウマである『私が産まれてきたことが罪』が起きるのは、私たちは神様と一緒に暮らしていた世界からこの世にやってくるときに神様を捨てたと思ってしまうからである。
神様はそんなことで怒ったりしないが、神様を捨てて背を向けたからきっと私を怒っているに違いないと自分の気持ちが神様に投影してしまう。
神に背を向けた私が幸せになれるはずがない、周りで起こる全ての悪いことは神様を捨て私が生まれたから起きてしまうと思ってしまうのだ。
これがトラウマの正体である。
はたして神様はそんなに短気なのだろうか。このトラウマを乗り越えるためには、この愛の層を知ることが必要になる。
お墓の正体
ワレヲマナブモノハ死と書かれたお墓へ眞人は落ちる。あれこそが本当の神様なのだ。ペリカンたちに押されて神様の眠るお墓に入ってしまうがキリコに助けられて事なきを得る。
船に戻る際、お墓に背を向けるといけないのは投影が起きるからだ。神様に背を向けた私という投影が起きないように背を向けてはいけない。キリコは大人でトラウマを乗り越えているからそのことを知っているのだ。
6人のおばあちゃんの正体
キリコの家へ行き眠る眞人の周りにおばあちゃんたちの人形が置かれている。おばあちゃんたちはそばにいて眞人は守られていると気が付く。
本当の愛とは、その人がどういう状態であっても認めて見守りそばにいることだ。おばあちゃん達は人生経験が長いので本当の愛を知っているのだ。
そして人生とは遠くの誰かが助けてくれるのではなく、身近な存在が助けてくれるということである。
おばあちゃんが6体並べられているのは、6地蔵で子どもを見守っているのとあの世への案内人でもある。
眞人が死のにおいがプンプンする理由
キリコの家に向かう途中、眞人に対してキリコが「どうりで死のにおいがぷんぷんするぜ」と言う。
それは、「夏子は父の好きな人だ」と答えるからだ。夏子を母として認めず、父の愛情も夏子へ向かっているという敵意がこの言葉に隠されている。
愛する母を捨て夏子を愛している父や、夏子に対する憎しみがあるので死のにおいがぷんぷんするのだ。
怒りや憎しみに身を任せると祟り神になり、いずれ死を呼び寄せてしまうからだ。
ペリカンがワラワラを食べる理由
ペリカンがワラワラを食べる理由は大叔父さんが反出生主義だからである。大叔父さんは悪意あるこの世から離れて自分だけの美しい世界へ逃避してしまった。
大叔父は生まれてきたことが罪というトラウマを乗り越えることが出来ず、反出生主義になりこの世で生きることを諦め自殺をしているのだ。
悪意ある世界へ産まれることは苦しみで、生まれることは罪であると大叔父は思っているので、ペリカンを連れてきてワラワラを食べさせているのだ。
有難迷惑な行為である。昨今の少子化の原因はこの大叔父のせだったのだろうか。
ワラワラが赤ちゃんの赤ちゃんであることを知り、自分の出生を学び生まれてくる命は素晴らしい存在と知ることができ眞人はまたひとつ成長する。
ヒミが火を使う理由
ペリカンを蹴散らすのは幼いころの眞人の母である。炎を使いペリカンを蹴散らす。母は火事で死んでいるので、火を使うことで母の死を受け入れることができるのだ。
鍛冶屋の家に行くとインコが占領していた。インコが赤ちゃんを食べないのは、生まれてくる命には罪がないからである。性善説ともいえる。
インコに食べられそうになっている眞人を救い、自分の家へ連れてくる。母の作るパンを食べる眞人はとてもおいしそうにほおばる。家で食べていた食事シーンとは対照的にとても美味しそうに描かれてる。
大好きなあの人を失った後に食べる食事なんて味もしないし、おいしくもないのだ。
母が食事を出すのは、人は食べることが一番元気になると知っているからだ。血糖値が下がってくると人はイライラが抑えられなくなり攻撃的になってしまう。夏子を救うためにまずは腹ごしらえが必要なのだ。
夏子の産屋は何か
夏子が子どもを産もうとしている産屋は墓石でできている。夏子は生きることを諦め自殺するためにあの世に来ているので石たちは怒っていない。
眞人とヒミは生きることを諦めいないので石たちはここにいることを喜んでいないのだ。
依存の愛から相互依存の愛へ行くことで親子になれる
他責や自責から救うには本当の愛が必要
夏子を自責から救うために”迎えにいく”という愛を伝えるが、夏子は怒りに囚われ「あんたなんか嫌いよ(お前のせいでこうなった)」と眞人に言う。
これは依存の愛である。子どもが親に対してお父さんお母さんのせいでこうなったと泣き叫んでいるのと何ら変わらない。
いやいや、おばさん落ち着け。子どもがわざわざ迎えに来てるんや、いい加減にしろ!じゃあ一生そこにおれ!と言いたくなるが、それでは怒りに囚われている祟り神は救えない。
怒りに怒りで反応してしまうと祟り神は救えない。祟り神を救うことが出来るのは与える愛だけなのだ。
依存の愛は試し行動をする
眞人は今まで依存の愛で与えられる愛しか知らなかった。子どもは依存の愛で、愛を与えてもらわないと生きていけないからである。
眞人は依存の愛から与える愛へ成長し、夏子に嫌いだと拒否されても愛を与えることが出来たのだ。
お前なんか嫌いだと言われても僕はどこにも行きません。「母さん一緒に帰ろう」と伝えるのだ。本当の愛がなければ他責の祟り神や自責の自殺、罪悪感から人を救うことは出来ない。
死のうとしたりお前なんか嫌いだと言う裏にあるメッセージは、『こんなこと言う私をそれでも愛してくれますか?』である。
眞人が本音を隠し他責で攻撃したように、こんな私を愛してくれますかと試し行動をしているといえる。
私は愛されないというトラウマがあるため、正しさの証明を行うのだ。
”こんな私は愛されない”を証明しようと試し行動をする。
本当に死にたい人は止められることを恐れ、死にたいと仄めかさないだろう。
本当の愛とは
本当の愛とは、その人がどんな状態であれ素晴らしい存在と認めることである。
その人がその人らしく生きていることを愛することである。
二人はやっと本当の親子になれた
依存の愛の子どもから、与える愛を知り成長した眞人は大人になった。
そして、親が子どもに怒りをぶつけることが出来るのは、子どもはどんなことをしてもそれでも愛してくれると信じているからである。
この時に二人は本当の意味で親子になれたのだ。
ヒミ母が強い理由
ヒミが強いのは母であるからだ。子どもを産んで親になるとそのことが分かる。
親が子どもを感情任せに怒ることができるのは、どんなことをしても子どもは親を愛することを辞めないと知っているからだ。
どんなことをされても子どもは親が大好きなので、愛を返し続ける。私たちは生まれながらにして与える愛を行ってきたのである。
ヒミ母が強いのは母になり、子どもはどんな自分でも愛してくれるので自分の存在が認められ、人は生まれただけで素晴らしいということを知ったからなのだ。
私たちは生まれただけで親に愛を与えてきた、与えることのできる存在だと知ることがトラウマを乗り越えるポイントである。
トラウマを乗り越える方法
自責のトラウマ(罪悪感)を乗り越える方法は、自分は元々愛を与えてきたと知ることである。
私は愛を与えることのできる存在で、救えなかったあの人に愛を教えることのできる存在だと知ることが必要である。
私たちは救えなかったあの人に愛を教え救うことができるのだ。
他責のまま祟り神にならず、自責で自分を責め続けるのでもなく、私は愛を人々に与えることが出来る存在で救うことが出来ると知ることがトラウマの解消につながる。
与える愛をまずは自分に向けることが重要。
自分を愛することでそれが他人に投影され、相手のことも愛することが出来る。
大叔父の13個の積み木の意味
大叔父が積み上げている13個の積み木は、親より先に死んでしまった子が三途の川で石を積み上げる行為と同じである。13個なのは、仏教で死んだ人は13回忌を経て宇宙のひとつとなると言われているからだ。
13回忌とは仏様となった故人が宇宙の生命そのものである「大日如来」とひとつになる日
小さなお葬式ホームページより
世界を救うには悪意ある自分を認めること
眞人は大叔父さんの悪意のない世界で、世界を救うために積み木を積む跡継ぎに連れてこられた。
しかし、眞人は自傷した傷を見せて「これは僕の悪意の印だ。悪意ある僕はここでは生きれない」と世界を救うことよりも悪意ある自分をゆるし認めることを選んだのだ。
自分自身に悪意があるので美しいだけの世界では生きることはできないのだ。
悪意あるこの世であっても、自分自身が悪意ある存在であっても、世界中の仲間や愛を探して生きていくことはできると宣言し眞人は大人へと成長したのである。
キリスト教では
キリスト教では、世界を救うためにイエスキリストは磔の刑にされ、自己犠牲をし世界を救ったと言われている。
生まれた時からその運命は決まっていたとされる。
自分を愛することで他人を愛することができる
ダメな自分をゆるし愛することで、それが相手に投影され相手を許し愛することができるのだ。
自分も失敗することがあると自分をゆるすことで、相手のミスもゆるすことができるようになる。
他人を許せないのは、自分を許せていないからだ。自分を愛していないからそれが周りに投影されて自分の周りが敵だらけになってしまう。
周りが敵だらけの中で生きることはとても苦しいことである。
悪意あるダメな自分を認めゆるすことで、他人もゆるし優しくなれる。それが、世界の平和にもつながるのである。
世界を救うために自己犠牲をするのではなく、悪意ある自分をゆるすことで争いのない美しい世界がやってくるのだ。
愛別離苦
仏教で愛別離苦という言葉がある。愛するものとの別れは苦しく辛いこの世に生まれた苦行であるという考えだ。自分を愛することができないことも愛別離苦と言えるのではないだろうか。
この世界に生まれてきたからあなたはもう既に偉い
眞人はこの世に戻る際、母に対して「僕を産んだら死んでしまう」と伝える。
その言葉に対しヒミは「火は怖くない。眞人のお母さんになれるなんて素敵な事じゃない」と言う。
眞人の存在を全肯定したのだ。あなたはこの世界に産まれてきてよかったのだと全肯定である。
私たちはこの世界に生まれてきたから既に偉いし、可愛いし、素晴らしい存在なのである。
本来は親が生きている間にこのように伝え続けることで罪悪感から解放されると良いが、そのように出来た親などほとんどいない。
自分のトラウマは自分で解決をするしかないのだ。
周りに愛を与えよう
私たちはこのように生まれてきただけで素晴らしい存在だと知ることが出来たら、世界中の人にそれを教えることのできるのだ。
あなたと出会えたから私は幸せですと自分も言って欲しかったように、愛するあの人もその言葉を待っているかもしれない。
自分や周りの人を罪悪感という病魔から救うには与える愛しかない。
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