シェイムレス
あらすじ
アルコール依存症の父親と、そんな父との生活に苦労を強いられる子供たち。シカゴに暮らす機能不全家族を描いたコメディは、イギリスの同名ドラマのリメイク。
『シェイムレス俺たちに恥はない』NETFLIX公式
- 涙活5.0
- コメディ5.0
- 演技5.0
シェイムレス感想
描写がリアル
子どもたちの感情や、精神障害を持っている人の心情がとてもリアルに描かれている。
宗教団体で性的虐待を受けていた少女の里親に、お金目当てでなったり、子どものワクチン接種について描かれていたり、貧困や同性愛など社会問題をテーマにコミカルに描かれている。
しかし、コミカルに描かれているのは、シェイムレス俺たちに恥はないという題名にもあるように、障害があっても気にしないというメッセージをがあるからだろう。
それぞれの精神障害の人が持っている孤独感や、苦しみの心情を丁寧に描いていることで、感情移入することができて自然と涙があふれるシーンも多い。
アダルトチルドレンの心理がリアル
子どもたちの父親はアルコール依存症、母親は躁鬱病で2年前に出ていき、21歳の長女が母親として生活を回していた。
お金を子どもたちそれぞれで工面し、生きている姿もただ単にお涙頂戴の暗い内容ではなく、おもしろおかしく頑張っている様子が描かれている。そこがこの作品に元気をもらえるところだ。
その中でも長女や長男の心情や演技がとてもリアルだ。自身もまだ甘えていたい、子どもでいたいが、親はいないのである。むしろ生まれた時から親はいなかったと言っても過言ではない。
本当は親に愛して欲しい、愛されたいと望みながらも、その愛が与えられない虚しさや悲しさ、親を親と思えない苦しさが良く描かれている。下の子どもたちのために、涙をこらえる姿や親を諦めているが、それでも愛して欲しいという心情が演技から強く伝わってくる。
シェイムレスのフィオナが人を信用できない理由
フィオナが彼氏のスティーブを信用するのが怖いのは、一番信用できる親を信用できず裏切られてきたからだ。
アダルトチルドレンの子どもは、しばしばこの心理状態に陥ることがある。
第一話でスティーブにレストランで心情を次々と当てられている。それがアダルトチルドレンの心情そのものだ。『甘やかされるのには私は不慣れ』『彼とは真逆の男たちもうんざりだけど、スティーブを金持ちの変人だと切り捨てるほうが、私に寄ってくるのはカスばかりだと認めるより、世間的にも通るし気持ちも救われる』とフィオナの心情を当てていく。
お金持ちで素敵な男性にアプローチされているが、本気で信頼し愛してしまうと裏切られたときに立ち直ることができなくなる、それが怖いのだ。そしてその愛も疑っている。彼女が傷つけられてきた年数を考えると無理もない。そのスティーブにも隠された秘密があることがまたおもしろみのひとつである。
このシーンでスティーブが言う『育ちは変えられない』がまさに全世界へのメッセージではないだろうか。決して生まれてきた環境や育ってきた環境は変えることは出来ない。障害もなかったことにはできない。
しかし変えられないことを嘆いて生きていくか、逆境を乗り越えていくかは自分で決めることができるのだ。
父親フランクの辛さ
アルコールに溺れダメダメな父親として描かれているが、なぜか憎めないキャラだ。その憎めない姿がコミカルで視聴を続けられるのではないだろうか。救いがなければ見ていられないほどの重い題材だからだ。
この父親もまた苦しんでいる、飲んで帰ってくると子どもには邪険にされ、孤独を強めているのがよくわかる。
長男の女友だちの家に上がり込み、その家の娘は取引をしてフランクに三者面談に来てもらう。フランクの子どものカールは親が来ないと退学という危機を、姉のフィオナたちで何とか解決するが、その帰り学校でフランクと鉢合わせをする。
子どもたちは、こんなにも大変だったのに自分たちの三者面談には来ず、他人の三者面談にはいくのかという呆れた顔でフランクを見つめる。フィオナに至っては、顔をそらし目にいっぱいの涙を溜めている。フィオナの演技から、悔しさや悲しみが上手く表現されている。
そんな子どもは父フランクを完全無視し、帰路につく。
その様子にフランクは、あっけにとられた顔をして、どうして無視されているのか分からない様子だった。こういうところでもいきちがい、なぜ嫌われるのか分からないことで、さらにアルコールへ走るのだろうということがよくわかる。
虐待の連鎖
また、フランクの母親が余命僅かとなり、出所してくる話は虐待の連鎖がとてもわかりやすく描かれている。
フランクの母親もフランクを認めておらず、常にどうしようもない子だと言い、その存在を認めていなかった。その時に初めて母親に対する怒りをぶつける。親に愛して欲しいのに愛されない、分かってもらえない辛さを母親にいっぱいぶつけていた。
その様子を陰で聞いていた娘のフィオナは落ち込んでいる父にたいし、「私の親も同じよ」と肩に手をまわし励ますのであった。その後母親の死後、やっと死んだと喜んでいる姿を見せながらも、本当に独りぼっちになってしまったと泣きながら妻のモニカを訪ねる姿に、本人の抱える孤独や悲しみがよく描かれている。
父のフランクが完全な悪者として描かれるわけではないところに、このシェイムレスが心温まる作品としての魅力があるのだろう。
フィオナの私の母親でもあるのよに込められた想い
一番印象に残っているシーンは、家出をした母親のモニカが戻り、末っ子だけを連れて帰ると揉めるシーンだ。
フィオナはモニカに対し、「あなたは出来ない、また放り出す」と攻め立てる。モニカは「私はこの子の母親よ」と末っ子の母親だと主張した。
その言い分を聞いたフィオナはとても苦しそうに泣きながら「あなたは私の母親でもある」と答える。とても辛い心情が見て取れる。自身も子どもであるのに、親代わりとして求められ続ける辛さや寂しさが伝わってくる。
子どもの一人でも愛しているなら、末っ子を連れていくなと伝えるシーンは見どころだ。結局モニカは末っ子を連れて帰らず自身の家に帰る。
ここでも分かることは、毒親も子どもたちを愛していないわけではないことだ。愛しているが、大人になれなかった親にはなれなかったといえる。
モニカの躁鬱病の描写
モニカが帰宅してから活発に動いており、明らかに躁状態であるシーンが描かれる。その後、躁が大きかった分、鬱のふり幅も大きくなり動けなくなりしまいには、自傷行為を行ってしまう。
衝撃的なシーンだったが、躁鬱病のリアルが描かれる。机上の空論ではない、現実がそこに描かれているのだ。
母親が自傷行為を行い、血まみれになっている姿を見た子どもたちのショックも丁寧に描かれている。
その時にもフィオナの彼氏であるスティーブがテキパキと手当をし、夫のフランクは手で口を押えショックな様子でその場から離れる。こういうときに頼りにならない精神状態であることもとてもリアルだ。
それでも生きていく
シェイムレスで印象に残っているセリフがある。「どこで育ってどんなに親が無責任でひどい目に遭っても、自分次第言い訳はできない。完璧でなくていい」このセリフこそが、制作者の伝えたいことであるはずだ。このドラマを通してそれを実感することができる。
辛い出来事が沢山起きる、しかしその中でもユーモアを忘れず前向きに生きていく人々の姿に感動する。
笑えるシーン、号泣するシーンのバランスも良く、次々と観たくなる作品だ。
コメディとヒューマンドラマを両方楽しむことができる。両方楽しみたい方にお勧めの一作だ。
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