生きる意味とは何だろう。毎日頭が痛くなるほど考える。私は何のために産まれて何のために生きるのか。果たして意味なんてあるのだろうか。毎日SNSとにらっめこをして無意味な時間を過ごし悔やんで後悔する日々。そこには自分よりも幸せそうな日常やキラキラした世界が溢れている。
憧れる世界を見ては比べて落ち込んで、挙句の果てに芸能人と自分を比べてひどく落ち込んでしまう。同世代の有名人が私の高校生くらいの頃にはもうすでに成功していた事実を知り愕然とする。影響を受けた人物は同じはずなのにどうしてここまで違うのだろうか。どうしてこんなにも差があるのだろうか。私の人生はこれで良かったのだろうか。悶々とする毎日に眩暈がする。
一体何のために生きているのか。その答えは少し前に出たはずなのに迷宮に戻ってしまった。人のために今までできなかったこと、自身と同じ境遇の子どもたちのために自分が出来ることをする。そう誓ったはずだった。
しかし現実はそう甘くない。夢を叶えるために踏み出した足は見事にへし折れてしまった。自分の問題を解決できていないまま子供に携わりつぶれてしまったのだ。辞めるきっかけになったことはさほど関係ないのかもしれない。同じような境遇で育った私にとって子供たちの気持ちは痛いほどわかり、とても苦しいものであった。共感しすぎて境界線を引く能力も低く同じように落ちていく。とても苦しい日々だった。
開けてはいけないパンドラの箱を開けるときが来たのだ。避けてきた過去と向き合うときが来てしまった。自分と向き合う中で自信を無くし自問自答していく。本当にこれがやりたいことなのか。本当にやりたいことは何なのか。今ではそれが分からなくなてしまった。
生きるって何だろう。理想と現実の差に押しつぶされそうになり気持ちも晴れない日々が続く。憧れた彼のようになりたい。その理想が遠すぎて吐き気がして眠れない夜を過ごす。
なぜ生きているのか。本当は誰にとっても意味のないことなのかもしれない。意味なんてないから必死に理由をつけて生き続けるのだろう。憧れたあの人を羨ましいと思うのは彼の人生に意味がありそうにみえるから。みんなに求められ憧れられ愛されている。私が人生に求めているものはこれなのか。
ここまで私が生きる意味を問うのは自身の自己肯定感の低さからきている。産まれたまま生きているだけで良い愛される存在であればそんなことで悩まなくて済のか。そのままでそこに存在してよいと認めてほしいから、生きる意味を探しているのかもしれない。
私には人生を生きる意味は分からない。でも、明日を生きる意味はある。明日は続きが気になるドラマがある。秋にはアニメの最終回がある。来年には好きなアーティストのライブにもう一度行きたい。人生を生きる意味は分からなくても明日を生きる意味は分かる。
人生とは明日を生きる繰り返しなのかもしれない。そこには答えや意味はなく、ただ明日を生きるだけだ。
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