普通の家庭に産まれたら私は違ったのだろうか。そんな叶わない夢を見ながら毎日を過ごしている。
いつも上手くいかない人生に悲観している。何か分からない生きづらさに気が付くこともなく、のらりくらりと歩いてきた。
社会に出てからが毒親育ちの苦しみが始まる。前にならえで何となくでも生活が進んでいく学生時代と違って人間力を試される。
幸せな家庭で育った子供よりも生きるすべはあるかもしれないが、むしばまれた心はじわじわと限界を迎えてくる。
何かがおかしい。そう感じながらも人生は続いていくのである。そもそも感じないようにしていた感情なのかもしれない。
ひとたび気づいてしまうと抑えが利かないこの感情を、必死で隠しだまして生きてきたのだ。
普通じゃないのに普通を装うとする心に嘘はつけない。
大人になったとき人間関係でとことんつまずいていく。どうしてこんなに苦しいのか。気が付いた時にはもう遅い。
大切な愛する人をただ愛していただけなのに、苦しめて追い詰めてしまう。そんな自分も大嫌いだ。
ただそのままの自分を愛してほしいのに、その素直な気持ちさえも口から出てこない。
すべての気持ちに蓋をしてきた私にとって、ただ愛してほしいということが言えない。
人の気持ちを過剰に気にして、自分の気持ちを押し殺す。押し殺した気持ちはぶくぶくと膨れ上がって爆発する。
何も言わずに相手に気持ちなど伝わるはずもないのに、わかってほしい。
こんな私をわかってほしいとずっと心の中で叫んでいる。
自分を傷つけることは、私をわかってほしい愛してほしいという魂の叫びなのだ。
毒親が私を傷つけても愛してほしいとしたように、自分も同じことをしているのだろうか。
もうこんなどうしようもない自分のせいで愛する人を失いたくない。
ぐちゃぐちゃに入り乱れた気持ちを愛する人のせいにはしたくない。自分自身との戦いなのだ。
素直に愛してほしいと言えたとき、はじめて私は普通になり自分の人生を生きることができる。
毒親の呪いから解放されて普通に生きていく。私の心は産まれた日から自由なのだから。
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