【他人と比べてつらい】毒親解決ブログ:普通の家庭が羨ましい気持ち

自分よりも幸せそうにみえるあの人やあの子を羨んで辛い。どうして自分にはないのだろうか。持っているものや持っていないものを比べて落ち込んでいく。

あの人自身になりたいわけではない。同じステージにいない自分に腹が立つのだ。恋人がいる、結婚している、子供がいる、家がある、車を持っている。比べるときりがない。際限がない戦いだ。いったい誰と戦っているのだろう。

自分とは何者か。その答えを出すためには他者と比較するしかない。自分が何者か一人であっても分かるならばそれほど辛いことではないだろう。人は人と比べて初めて自己を理解する。

憧れのあの人も豊かに見える生活も実際はどうなのだろう。本当はすべて嘘かもしれない。そう考えるだけで気持ちは少し晴れるが、現実に引き戻され自分の不甲斐なさに落胆する。

心のどこかで自分もそうなれるはずという思いが残っているのかもしれない。手を伸ばせば届くかもしれないものと、そうできたはずの自分の過去を悔やんで苦しいだけだ。

これから後悔しないように行動すれば良いだけだが、理想と現実の差は中々埋まることはない。その間は苦しく過ごすことになる。しかし、やるしかないのだ。

誰もが持っていないものや他者を羨んでいるならば、結局のところ際限はなく永遠に終わりの来ない戦いであるといえる。憧れのあの人も私を羨んでいるかもしれない。あの人が持っていないものを私は持っているのかもしれない。

そのことにどれだけ気づくことが出来るだろうか。私は普通の家庭に育った人がとても羨ましく憧れる。人には見せない暗い過去を隠すために明るく振舞う。ただその場に過剰適応しているだけの私をみて「そんな風に明るくなりたい」と他人は言う。

私はあなたのように普通になりたいと願う。自分の気持ちに嘘をつかず過剰に明るく振舞うことなく生きたい。そうなりたい。人は無いものねだりなだけかもしれない。自分に無いものに憧れて羨む。死ぬまで一生続くのだ。

覚悟が出来ると苦しいことはない。どうあがいても逃れられないのなら、受け止めて認めるしか方法はないのだ。死ぬまで続くこの戦いに打ち勝とうとするのではなく、ただ身を任せる。そういう羨ましい気持ちも認めるだけで良いのだ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました