参考文献
友だち幻想 (ちくまプリマー新書 79) [ 菅野 仁 ] 価格:814円(税込、送料無料) (2023/10/28時点) 楽天で購入 |
いじめが起きる原因
1人でも生きていける社会だからこそ、人とのつながりが難しい
現代社会は昔と違い、人と関わらずとも生きていくことが可能だ。だからこそ、人と関わったりする関係を築くことが難しい世の中になっている。
1人でも生きていくことは可能だが、それでも人は人とのつながりを求める。つながりを求めるからこそ、かえって傷ついてしまうのだ。
ムラ社会は通用しない世の中になっている
昔のムラ社会は周りの住人と協力して生活しなければ、生きていくことが出来なかった。周りと同調できなければ、村八分になる可能性があるからだ。しかし、現代はスマホ一つあれば1人でも生活することが出来てしまう。生活スタイルも変わり、多様な考えの人が周りに住んでいることが当たり前になっている。
そんな状態で、かつてのような同調性のムラ社会を継続していくほうが不可能なのだ。
若い人ほど昔のやり方『ムラ社会』を引きずる
若い人ほど『ムラ社会』のやり方を純粋に引きずっている。
ある程度社会経験を積めば、かわせることも学生になれば先輩後輩の関係や、上下関係を厳しく守っていたりする。だからこそ、多様な考えを認めることができずいじめが起きやすいといえる。
現代には合わないムラ社会のやり方ではなく、多様な考えの人とも共存していく、合わない人とも一緒にいる方法が必要になっているのだ。
人とつながる目的
- つながりの先の目的
- つながることが目的
つながりの先の目的とは、その人と関わると得ることのできる利益が目的になることだ。何か恩恵を受けたり、出世のためというつながることで得ることのできるものが目的の場合である。
つながることが目的とは、その人と一緒にいることで幸福であったりする、その人とのつながり自体が目的のことである。
人の幸福は人とのつながりの中である
人は1人でも生きていくことができるが、人とのつながりがあるからこそ幸福を感じることができる。
何で幸福を感じるかは人それぞれでるが、二つの核に絞って考えることができる。
幸せとは
- 自己実現
- 他者との交流(①交流そのもの②他者からの承認)
幸せとは、自分がやりたい事を行い幸福を感じる自己実現と、他者との交流の中で感じることができるものに分けられる。
・自己実現
自分がやりたい仕事や天職と呼ばれるようなもので、自分の能力を最大に発揮し、成果をだし自分自身が幸福を感じることである。
・他者との交流①交流そのもの
人との交流そのもので幸せを感じるとは、親子や友人、恋人などお互いに別のことをしていても一緒に過ごすことで安らぎになり、幸福を感じることである。
・他者との交流②他者からの承認
何かを人から認められるということが、何よりの歓びになる。その人の行動であったり、その人の存在そのものが認めらることもある。
また他者からの承認は自己実現ともセットになっており、仕事で成果を出しそれを誰かに認められるという歓びとつながっている。
他者の承認が歓びになるからこそ、いじめが起きる
他者に認められるということがこの上ない歓びであるからこそ、承認されない”無視”されることが苦痛になるのである。
また学校でもあの子の方が周りから承認されている、先生から認められていると思うことでいじめの対象になってしまうのだ。
居ない人の悪口はスケープゴート生贄の心理が働く
そこに居ない人をスケープゴート(生贄)として悪く言うことで、残りの人の親しさを確認しているのだ。
しかし親しさを確認しながらも、自分がいないときに悪口を言われているのではないかという不安にも繋がる。その結果、グループとして密に固まっていく。
一緒にいて楽しいからいるとは限らず、自分がそこにいないと排除されるかもしれないという緊張状態に陥っている可能性すらあるのだ。
同調圧力
学生など同じ年代の集団になればなるほど、同調圧力が高まる傾向にある。グループで固まり、みんなと同じでなければならない雰囲気が漂う。
グループで過ごす日もあれば、1人でゆっくり過ごす日だってあっていいはずだが、”みんな一緒”という同調圧力に悩まされるのだ。
現代の新たな同調圧力
昔ながらのムラ社会的同調圧力は、生命維持としての同調圧力で相互補助性があった。お互いに支えあわないと生活できなかったので『長いものには巻かれろ』という同調圧力であった。
現代の同調圧力は、不安からもたらされることが多い。情報過多な社会で自分の価値観を見出すことができず、群れることで不安から逃れようとする側面がある。
現代人の3形態
- 伝統指向型
- 内部指向型
- 他人指向型
現代人の指向型として上記の3形態に分けられる。
伝統指向型とは、家長制度や権威による支配を重んじる、ムラ社会的同調圧力の要素がある。
内部指向型とは、自分の中に行動基準があり、自分軸で動くことである。
他人指向型とは、行動の基準が他人にあり、現代の新たな同調圧力の要素を含む。
このような同調圧力を理解し、他者との適切な距離を保つことで人間関係の悩みが減るのではないだろうか。
▽仲間外れが起きる心理▽
いじめを無くす方法
他者と距離間を理解する
他者を理解する
いじめを無くすためには、自分以外は他者であることを理解する必要がある。
自分以外は親や兄弟であっても、他者なのだ。つまり、自分以外は自分と違った考えを持っているということを理解しなければならない。
見知らぬ他者と身近な他者
他者には見知らぬ他者いわゆる他人と身近な他者に分けられる。
身近な他者というのは、どんなに近い存在であっても他者ということを前提として考えなければいけない。
自分とは違った価値観、考えをもった者であることが分からないと、自分の気持ちを何でも理解してくれるはずだという独りよがりな考えになってしまう。
人は他者の二重性に振り回される
他者には『脅威の源』と『生のあじわいの源』という二つの性格がある。
脅威の源とは、他者の発言などによって傷つけられる恐れがあることだ。身近な人であっても傷つけられる可能性がある。
生のあじわいの源とは、他者によって認められ、ほめられたりすることで、嬉しい気持ちになったり生きていてよかったと感じることができることである。
このように他者には二重性があり、傷つけられるのは嫌だが人ともつながっていたいという両極端に振り回されてしまう。
他者性が生のあじわいしかないのであれば、みんなが仲良くすることは可能である。しかし、驚異の源として傷つけられる側面もあるから他者とのつながりは難しいのだ。
さらに、意図的に相手を傷つけるつもりはない発言であっても、相手を傷つけてしまうこともあるのが他者との関りなのである。
同質性から共存性へ
一緒にいる、一緒でいる、みんな同じという『同質性』から、気の合わない人とも一緒にいるさほうの『共存性』を重視しなければならない。
一年生になったら友達100人できるかなは幻想
みんな仲良く、誰とも友達になろうという考えは子どもを追い詰めることもある。
みんなの輪に入れない子や、みんなと一緒になれない子のプレッシャーになり、そうできない自分はおかしいのではないかとさえ考えてしまう危険性がある。
大人でも合わない人があるように、子どもの世界にも合わない人はいる。純粋無垢な子どもだから、みんな友達になれるということは、幻想でしかない。
昔はみんな友達でよかった
昔は村に学校は1つで、見知った顔ばかりだったからみんな友達でよかった。あの子はどこそこの家の子で、今年は次男が入ってくるぞと濃密な関係があったのだ。
しかし現代では、偶然にそこに出会った集団でしかない。すごく気の合う親友が出来るとは当然のことではなく、とてもラッキーな出来事だ。
その点を踏まえて、現代では気の合わない人とも傷つけあわずに、共生するという方法を教えてあげないといけない。
『みんな仲良く』から『気の合わない人と併存』という考え方へ変えていくことが求められている。
やり過ごす、無理にかかわるから傷つく
気の合わない人とも関わろうとするから、お互い傷つくのである。
羨ましい気持ちや妬ましい気持ちが起きた時にも、やり過ごすことが大事だ。その気持ちに囚われると、ルサンチマンになり相手を引きずり落としたい、こんな世の中おかしいという考えになってしまう。
ルサンチマン
ルサンチマンとは、自分より優れている人を妬み、嫉妬する感情のことである。人間ならだれでもおきてしまう。
ルサンチマンに陥ったときに、やり過ごすということを学ばなければ、優秀な生徒や秀でている生徒に対するいじめが起きる。
自分は自分、人は人という自他境界線を引くことを教えてあげなければいけない。
ルール関係とフィーリング共有関係に分けて考える
ルール関係とフィーリング関係とは
ルール関係とは、お互いに共存するためにルールを基本に成立する関係である。
フィーリング関係とは、みんな一緒にクラスで団結というノリのフィーリングで成立するかんけいである。
学校という場はこのフィーリング関係だけでは、成り立たない。現実社会と同じように、ルールが必要になってくるのだ。
フィーリング共有関係だけで考えるといじめが発生する
いじめは明らかなルール違反だ。ルール違反を犯している場合に教員は裁定を下す必要がある。
ルール関係が成り立っている上で、『みんな仲良く』のフィーリング共有関係を考えないといけない。
フィーリング共有関係を重視すると、『みんな仲良くしなければならない』が基準になってしまうのだ。
ルール関係を重視することは、ルールがきちんと守られるならば、みんな仲が良くても得無くてもどちらでもよくお互いに平和に過ごすことができるのである。
この二つの関係を状況によって使い分けることができるのが、大人になったということだ。仕事ではあいつとは合わないからと、仕事は回さないということは許されないからである。
ルールは自由になるためにある
ルールは多くの人の自由を守るためにある。誰でも自由にできるということは、力がある人がやりたい放題やってしまうことになる。
全員の自由をお互いに保証するためにも、ルールは必要なのだ。
ルールが必要な理由
誰かをいじめるを許容することで、自分もいじめられるリスクが発生する。誰でも自由に人を殺していいのであれば、いつ殺されるかわからない状態になってしまうのでルールは必要なのだ。
『いじめはよくない』『みんな仲良く』ということだけではなく、いじめを許容するということは、自身の安全も脅かされるということを知らなければいじめはなくならない。
自分の身の安全を保障するためにも、他者の安全を保障しなければいけないのだ。
気に入らない相手と併存するが大切になる
お互いの安全を保障するためにも、気に入らない相手と併存することが大切になってくる。
気に入らないから攻撃するということは、自分のリスクも高めていることになる。無視をすることも、受動攻撃といい、間接的な攻撃だ。
そうならないためにも、相手と適切な距離を保つ。同じ空間にいても、お互いを関わらずにいる距離を置くということが重要なのだ。
見方か敵か二者に分けるのではなく、態度保留という真ん中を選ぶと良いのだ。
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